2013年8月14日水曜日

圓生と志ん生

 1945年8月15日、5代目古今亭志ん生(本名:美濃部孝蔵)6代目三遊亭圓生(本名:山﨑松尾)の二人は、満州にいた。…なんてふうに書き出すと、手に汗握っちゃう感じだが、どうもこの二人には似合わない。
  あっちにいけば食べ物はふんだんにあって、酒も呑み放題。親切なご婦人方もよりどりみどり。空襲もないから夜は眠り放題。なんてったって興行元は満鉄の子会社だからお給金がいい。これは松ちゃん行くしかないよ。
 てんで、出発したのが5月。志ん生このとき55歳、人気がようやくでてきたころ。圓生45歳、行儀がいいだけの噺家、下手な真打、なんてえらい言われようのころ。
  1か月の興行はまず成功、では帰りましょう、とはいかなかった。この時すでに戦局が深刻化、日本海にアメリカの潜水艦が出没して、通る船を沈めてるってんで、日本への船がまったくない。しょうがないから、6、7月と満州中を二人で巡業。8月になって、大連で興行中、敗戦。
  ソ連軍が攻めてくる、大丈夫だこっちにはアジア最強の関東軍がついている、いざロスケがやってくると、関東軍ははるか朝鮮のほうまで逃げていた。
  大連は日本人の避難民であふれかえり、ソ連軍は大連の内と外を封鎖。それからおよそ2年の間、圓生と志ん生はそこにいた。その頃の生活がどのようなものだったのかは、断片的に伝わっているようだ。
 しかし、2年の後、日本に帰ってきた志ん生の芸は絶頂期に向かい、鳴かず飛ばずだった圓生はすぐさま頭角を現す。このことを説明してくれそうな断片は落ちていない。
  多分にフィクションの要素が高いと思いますが、井上ひさし作:こまつ座公演『円生と志ん生』は二人のこの時の2年間を題材にしています。集英社から戯曲がでているので、終戦の日に読んでみてはどうでしょう? (別にアフェリエイトじゃありません)  

再生リスト: 5代目志ん生
http://www.youtube.com/playlist?list=PLxo1b5URKLWkcF8kFHMr9sMHJocMXXD6-

再生リスト:6代目圓生
http://www.youtube.com/playlist?list=PLxo1b5URKLWkBaUxHLQlAbnI6POM1zyxW

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