2013年9月9日月曜日

LOVE馬生

  10代目金原亭馬生が好きだ。別に宣言しなくてもよいのだが、好きなんだからしょうがない。もちろん、弟の志ん朝よりも。
 馬生との付き合いは、さほどに長くない。父親の志ん生や圓生、枝雀、小三治、4代目圓遊、6代目柳橋と、好きな落語家は多いが、彼らとはもう何十年と付き合っている。もちろん、録音を聴いているというだけなのだが。なぜか馬生はスルーしていた。
 ひとつは、志ん生志ん朝の名が大きすぎたからなのかもしれない。まったく陰に隠れてしまっていた。落語についてそんなに知識もなく、ただ聴いて笑ってただけの自分には、馬生の存在は薄かった。
 唯一持っていたのは、これ
 
これを聴いても、なんだかすっとんぼけたひとだなあ、と思っただけだった。
 ではなぜ好きになったのか、これやこの、まあ要するにYouTubeですよ。ほんとにありがたいです。ではここで、あなたもきっと馬生にはまるベスト3をご紹介。

 第3位は『吝い屋


 ケチの話は、圓生もいいし、4代目圓遊もいい。だが、この人のは、なんだか次元が違っている。その意味は、まあ、お聴きなさい。
 続いて第2位は、『笠碁』

 
馬生はいいなあ、と、いつ聴いても思えてしまう。馬生の演ずる人間はすべて愛らしい。
 堂々の第1位は、『うどん屋』

 
愛すべき酔っ払い。愛すべきうどん屋。馬生は、人間賛歌なり。聴かなきゃ損ですよ。


 このブログの第1回目にとりあげた、志ん生と圓生が満州に渡った話だが、志ん生が満州へ行くと、家族に告げたとき、唯一賛成したのが馬生だった。

「嬶と娘は、敵が上陸してくる噂がしきりのこの時期に満州行きなどとんでもないと猛烈に反対したが、倅(馬生)は逆だった。竹槍で戦おうという時に親父が酔っぱらっていては隣組に申し訳ないし、第一足手まといになる、東京で死のうとどこで死のうとおんなじことだ、ここは一つ空襲のない満州に行ったほうがいいというのでその気になったのである」(志ん生談)

 しかし、のんきな父親が2年も中国から引き揚げてこず、その間家族を養ったのは馬生本人だった。
 父親からは少しも稽古をつけてもらえず、ほかの師匠から稽古をつけてもらったり、自己流で噺を練りこんだりと、独自の芸風を磨き上げ、三遊派栁派のネタを多く持った。

 それだけ苦労しても、『志ん生の名は志ん朝に譲る』という父親の意をくみ、「志ん生」は弟に継がせると約束していたそうだ。名に執着はないということか。
 ではなぜ出囃子を、『鞍馬』から、晩年になって、父親と同じ『一丁入り』にかえたのか?

 酒しか口にせず、栄養失調になっていたほどの酒好き。1982年、54歳で永眠。死因の食道癌も、きっと酒のせいだろうね。

 もうすぐ9月13日。馬生の31回目の命日。『うどん屋』でも聴きましょうか。


 

 

 
 





2 件のコメント:

  1. はじめまして。ようつべから飛んで来ました~。
    圓生師匠が大好きです。コツコツCDを買っていますが、
    なかなか買い揃えられないので、つべで聞けて嬉しいです。
    馬生師匠も大好きです。噺家さんの中で一番好きかも。
    私は「抜け雀」が好きです。父親の画家のほんの一言二言で
    親子の間に何があったのかを一瞬でわからせる所を聞くと
    鳥肌が立ちます。
    またおじゃましますね。(^∀^)ノシ

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    1. 初コメントいただきました。おありがとうござい。

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