2013年10月8日火曜日

圓朝のこと

 たいへんおこがましいのだが、圓朝について書いてみる。とりとめもなく、紆余曲折しながら進んでいくので、ご容赦を。

『初代三遊亭 圓朝は、三遊派の総帥、宗家。三遊派のみならず落語中興の祖として有名。敬意を込めて「大圓朝」という人もいる。現代の日本語の祖でもある』

 これは、おなじみウィキペディアの『三遊亭圓朝』の最初の説明である。では次に『三遊亭圓生』をひくと、

『三遊亭 圓生(さんゆうてい えんしょう)は、落語家(江戸落語)の大名跡の一つ。三遊派の流祖、本家。古今の多くの落語家が名乗る「三遊亭」の亭号の源流。6代目の死後、現在に至るまで空位』

 宗家と本家の違いを説明しろ、あほんだら。しょっぱなからウィキペディアの乱暴な文章に腹を立てていてもしょうがないのだが、ひどすぎる。
 そもそも圓朝は、2代目圓生の弟子なのだから、宗家が本家に弟子入りするのはいかがかと思う。圓朝が三遊亭の宗家である理由をウィキペディアに求めると、『圓朝は落語中興の祖である。それゆえに三遊亭の宗家である』冗談ではなく、そう記されている。

 別にウィキペディアにケンカを売っているわけではないのだが、もうひとつ。『圓朝は現代日本語の祖である』という記述。この意味を求めると、

『近代日本語の特徴の一つである言文一致体を一代で完成させたことから近代の日本語の祖とされる。明治時代に速記法が日本に導入されたころ、圓朝は自作の落語演目を速記にて記録し公開することを許した。記録された文章は新聞で連載され人気を博した。これが作家二葉亭四迷に影響を与え、1887年「浮雲」を口語体(言文一致体)で書き、明治以降の日本語の文体を決定づけたのである。のみならず現代中国語の文体も決定づけた。魯迅は日本留学中に言文一致体に触れ、自らの小説も(中国語の)言文一致体で綴った。すなわち白話運動であり、ここで中国語は漢文と切り離されて口語で記されるという大改革がなされたのである』

 長々と書かれると、 惑わされてしまいそうだが、つまりこうだ。

1.落語の速記を新聞に載せるのを許した。(落語なのでもちろん口語体)
2.二葉亭四迷がそれを真似して口語体で『浮雲』を書いた。
3.口語体の小説、文章が主流になった。

 圓朝がしたことは、新聞社に自分の落語の速記の掲載を許可しただけである。

 これ以上続けると、落語中興の祖まで嫌いになりそうなので、ここらへんでこの話はおく。

 そもそもどうして圓朝の話を書こうとしたのかというと、青空文庫(インターネットの無料図書館
http://www.aozora.gr.jp/index.html)で、圓朝の著作を目にしたからである。

 6代目圓生好きの私には、『文七元結』やら、『敵討ち札所の霊験』やら、長い噺は圓朝ものとしておなじみだが、いまでもよくつかわれる短い小話なんかも圓朝作のものがあって、なんだか感心してしまった。圓朝を書こうとした理由は、まあそんなところ。

 圓朝の偉さは、前述のウィキのようなとってつけたことではなく、その膨大な作品群にあるのだと思う。

 しかし、それを読もうとすると、かなり骨が折れてしまう。もちろん口語体で書かれている。だが旧仮名遣い。漢字にはすべてルビがふられ、改行はほぼない。こんな感じである。

『えゝ一席いつせき申上まうしあげます、明治めいぢの地獄ぢごくも新作と申まうす程ほどの事でもなく、円朝ゑんてうが先達せんだつて箱根はこねに逗留中とうりうちう、宗蓮寺そうれんじで地獄極楽ぢごく/\らくの絵ゑを見まして、それから案あんじ附つきましたお短みじかい落語おとしばなしでございますが、まだ口慣くちなれません…』

 コピーしたらルビが漢字の横になってしまったが、読みにくさはお分かりだろう。

 思うにこれはもったいない。せっかく圓朝の作品をただで読めるのに(死後50年たてば著作権はフリー)、これでは読みにくい。そこでこの私が、読みやすくなおしてあげようではないか。

 むろん、能力と根気のないわたしだから、どこまでできるかわからぬが、とりあえず今日はひとつご紹介。

圓朝作『吝嗇家(しわんぼう)』

 ごくしわい人がございまして、
旦那「小僧や」
小僧「へえ」
旦那「おとなりへいつて蚊帳の釣り手を打つんだから、かなづちを貸してくださいとそういつて、借りてこい」
小僧「へえ……いってまいりました」
旦那「貸してくれたか?」
小僧「あの、お隣で、なんの釘を打つんだと申しますから、蚊帳の釣り手を打つんですから鉄釘で御座ございましょうと申しましたら、鉄と鉄との摺れ合いでかなづちが減るから貸せないと申しました」
旦那「むーん、けちな奴だ……じゃあ、うちのを出して使え」

この調子で長い噺をなおしていったら、何十年もかかりそうだ。こわいこわい。



 


 
 

3 件のコメント:

  1. 圓朝のことは何も知らないんだけど、もし圓朝がいなかったら
    名人・圓生師匠も生まれなかった訳で、とにかく感謝の限りです。笑

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    1. ほんとですね。圓朝がいなかったら、落語はどうなっていたんでしょうね?

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